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水俣から(その2)

水俣へ来て2日目。お天気は雨。

朝はまだ雨が降っていなかったので旅館の目の前にある湯の児島を散策。
湯の児温泉は傷ついた大海亀が療養していたのが温泉の由来らしく
所々に亀の石造がありました。
ここから車を運転してポイントで写真撮影。
まず旅館から近い重症心身障害児施設「明水園」
とても敷地が大きいのでちょっとびっくりしました。
しばらく車を走らせると海岸道路公園がありそのそばに旧採石場があります。
とりあえず車を止め、北側から市街地みると水俣川の向こうにある
工場の大きさがよくわかり、また昨日みた百間排水口から水俣川に廃水路を
変更した距離もわかりました。
またしばらく走ると避病院跡地。
今は建物もなく老人福祉センターがありましたが、まだ水俣病が伝染病だと
思われていたころ、発病するとここに患者は隔離されたそうです。
そのまま走り水俣川を渡るとチッソの社宅がありました。
昔は学歴や職能によって一軒家、長屋、アパートなど差別があったそうです。
そのまままっすぐ走っていくと梅戸港にたどり着きました。
ここはチッソが原材料の輸入や肥料を沖縄や台湾に輸出するのに使っていた港です。
そして昨日も行った埋立地まで車を走らせ、水俣病資料館、水俣メモリアルへ。
資料館では前回と違い、説明ビデオ約10本しっかり見て、
猫を飼っている私は、猫実験をみて涙を流してしまいました。
資料館から出ると霧のような雨が降ってました。
食事を済ませ、また車を走らせると胎児性水俣病患者の多発地区の湯堂に。
漁港では雨の中釣りをしている人がいました。
また国道3号を走り、乙女塚に雨なのでほんの少し立ち寄り、
患者多発地区・茂道を目指したのですが、みかん山に入ってしまい
あえなく断念。みかん山から茂道港を眺めるだけにしました。
ここまで車を走らせていて港でも、みかん山でも猫をよく見かけました。
水俣病が多発した時は猫がいなくなり、ねずみが大発生した時もあったそうですが
今は猫も住める町に戻っているように感じました。
他にもまだ見たいところがありましたが、そろそろ空港に戻る時間。
水俣をあとにしました。

2021年01月

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