野生のウサギが800羽生息する楽園 大久野島は昭和4年(1929年)から昭和20年(1945年)まで、太平洋戦争で使用するための毒性のガスが大日本帝国陸軍によって秘密裏に製造されていました。
ウサギにエサをやりながら癒され、毒ガス工場を学びました。
まずは船で桟橋につくと国民休暇村行きのバスに乗り、約1kmの距離を徒歩で桟橋まで戻ることにしました。
船に乗る前に買ったウサギのエサは簡単にウサギを呼び寄せることができました。
そして大久野島ビジターセンターの前には毒ガス資料館がありました
資料館では貴重な文書やビデオを見ることができ、岡山民医連の色紙も発見しました。
桟橋まで約500m。ウサギとまみれてエサはすっかりなくなってしまいましたが
旧桟橋から一歩北に進むと
そこは別世界(@o@)/
発電場であった廃墟
日本が毒ガス工場でマスタードガスを作っていたことを知らないウサギ。
ウサギだけでなく毒ガス工場のことも多くの人に学んで欲しいと思いました